
2015年 東北の現実
3月上旬、弊社東北支社への出張帰り、南相馬の小学校で慰霊碑除幕式に参列するという同僚に誘われ現地に同席した。
4年前、3月11日のことは今もよく憶えている。
多くの同僚たちや家族、関連企業の方たちが亡くなった。
地震が起きたあと、私は帰宅困難となり職場に留まった。
テレビをつけると東北各地の街が燃えていた。
しばらくすると、テレビは東京の帰宅困難者のニュースに切り替えられた。
首都圏の交通マヒが一大事として繰り返し騒ぎ立てられた。違和感を感じた。
東京の帰宅困難を騒ぎ立てる感情が私には理解できなかった。
今年4年目を迎え、久しぶりに訪れたこの地は瓦礫こそ撤去されているが、何もない見渡す限りの光景に言葉を失ない涙が溢れる。
東北は、震災バブルと反社会的な組織の存在で、人と街はぼろぼろになっている。
復興というイメージは、政府とメディアが作り上げたシナリオなのだと、現地の人たちは私にそう教えてくれた。
まだ何も済んでいないというのに、復興の笑顔ばかりがシナリオ通りにばら撒かれている。
本当に、これで良いの!?
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私も東京にいましたので帰宅困難になって嫁の実家に避難させてもらいました。東北に比してみれば大したことではない。ツーリングでは東北へ行くコースもあったので楽しんでいたのに、3.11以降それはできなくなってしまっている。
TVは偏光報道が多くなって来ているので基本的には信じていないが…
それでも情報弱者はTVしか頼る術がないのが現実だろう。
あの未曾有の大災害は少なからず日本国民の生き方に影響した。
4年が経過してみて、慣れによる緩みが生じてきているのではないか?とも思えてしまう。