2015年最後の走り!?

おそらく今年最後の走りだろう。 

昨晩は出張帰りで遅くに帰宅。

今日は代休だったので夜更かしもしたけど、朝の日差しで目が覚めてしまった。

 

今日は雲一つない晴天。

無性にバイクに乗りたくなり、あてもなくバイクで出掛けた。

 

取り敢えず東名高速で伊豆方面へ。

この時期、伊豆方面はベストチョイスかも・・なんて思いながら。 

沼津から戸田へつなぎ、戸田峠‐西伊豆スカイライン。

路面も奇麗な状態だったので、チョイと飛ばす。

 

西伊豆スカイラインから海岸に出て松崎を目的地に。

松崎では何度かお邪魔したことのあるお寿司屋さんに立ち寄る。 

チョッと贅沢なランチを頂いた後、周辺を散策して帰路につく。

寒かったけど天気にも恵まれ、今年最後のツーリングを無事に終えた。

 

今年でこのバイクも5年目を迎えた。

走行距離は約31,000キロ。うち、半分近くは毎年行っている北海道ツーリングでの距離。

 

さあ、来年はどんな年になるかな!?

環境が許される限り、走れる限り、バイクライフを楽しんでいこう!

002013

012

2015年5月24日 ダイキチ結婚式♡

風来坊の仲間・・ダイキチが人生最高ともいえる「大吉」をつかみとった。

 

DSC_0583

やまプリと共に列席させて頂いた。

とても素敵な式でした。

 

私自身、結婚式の出席機会は会社関連を含め、年に数回程度はありますが、やはりお付き合いの隣席ではないので心に響く特別なものがあります。

 

式場はマリノアシティ福岡にある、海を望める素敵なロケーション。

アニヴェルセル 福岡:http://fukuoka.anniversaire.co.jp/

 

ピュアなダイキチと可愛らしい香菜子さん、とてもお似合いのお二人。

こうしてみると、結ばれたお二人はいわば運命!?必然だったんじゃないかと思えるほど。

 

印象に残ったのはご両家の方たち。

当たり前かもしれないけど、ご両親のあたたかく見つめる、その姿には感動を覚えます。

こんなにも、これほどまでに、息子、娘の門出を祝う姿は感無量で胸がつまります。

とても、とても愛されて育てて頂いたんだね。

 

フィナーレを迎えます。

だいきちのお父様の御礼の挨拶に続き、新郎だいきちの挨拶。

しっかりと、きちんと前を向いて話す君の姿はとても立派でした。

会場は感動の涙につつまれた。・・私たちもね。

 

だいきち、香菜子さん、幸せな家庭を築いてくださいね!

 

May 24, 2015

Description person: taka

 

2015年 東北の現実

3月上旬、弊社東北支社への出張帰り、南相馬の小学校で慰霊碑除幕式に参列するという同僚に誘われ現地に同席した。

4年前、3月11日のことは今もよく憶えている。
多くの同僚たちや家族、関連企業の方たちが亡くなった。

地震が起きたあと、私は帰宅困難となり職場に留まった。
テレビをつけると東北各地の街が燃えていた。

しばらくすると、テレビは東京の帰宅困難者のニュースに切り替えられた。
首都圏の交通マヒが一大事として繰り返し騒ぎ立てられた。違和感を感じた。
東京の帰宅困難を騒ぎ立てる感情が私には理解できなかった。

今年4年目を迎え、久しぶりに訪れたこの地は瓦礫こそ撤去されているが、何もない見渡す限りの光景に言葉を失ない涙が溢れる。

東北は、震災バブルと反社会的な組織の存在で、人と街はぼろぼろになっている。
復興というイメージは、政府とメディアが作り上げたシナリオなのだと、現地の人たちは私にそう教えてくれた。

まだ何も済んでいないというのに、復興の笑顔ばかりがシナリオ通りにばら撒かれている。
本当に、これで良いの!?

tohoku_ishinomaki02tohoku_mimamisouma05tohoku_minamisouma09tohoku_minamisouma-15

上級救命講習を取得した

私達バイク乗りにとって有ってはならない事…
それは「事故」です。
幸いにして、十数年間無事故で過ごしているのですが。

「安全に対する心構え」
をふと思う事がある。

取得するきっかけは別の事なのだけれども。
遭ってはならないがいざって時のため救命措置を正しく行なえる知識は有っても良いのかなと思い受講してみました。

朝9時から夕方5時まで。
昼休み12時から1時間を挟む。

2時間程度の座学。
5時間実技訓練。
普通救命講習は成人向け救命措置(3時間)で上級はこれに小児や児童への救命措置が加わるものです。

消防と赤十字とありまして。私は消防の方で。何といっても金額が1,500円とリーズナブルなのに加えて。
受講終了証が豪華でした。

転んで擦りむいて、消毒して絆創膏を貼ることの延長線上に救命措置がある事。
一時救命措置として救急隊が来るまで適切な応急処置を出来るようにして、自分たちの周りにある危険を一つでも減らせるように。

良かったらメンバーでも広めていきたいと思う。
いつまでも皆の笑顔を見られるようにしたいと願って。

緑の鬼怒川温泉・・・そして、しばしの別れ!

個人的な集まりで久々に鬼怒川温泉へ出向く。

 

私とやま&プリに加え、地元福岡への戻りが急遽決まった大吉が加わり4名での旅。

6月21日、22日の日程であったが、大吉が福岡に戻る日はナント22日。

ドタバタな段取りだけど、何とか合流を決行してくれたのは何とも嬉しい。

 

鬼怒川温泉での宿は、団体客がくるような、いわゆる温泉ホテルを避け、なるべくこじんまりした宿を選んだ。

宿は「七重八重」

急遽選んだ宿だったけど、チェックインからアウトまで・・いろんな事を想定して選んでみた。

やまプリとも久々の泊り旅だったし、大吉ともしばらく会えない、ってことが分かっていたから。

 

早めのチェックインで部屋でまったり&温泉。

温泉は大浴場ではないけど、良いお湯だった。

 

夜中までたくさん話し込んだ。

翌日は当然寝不足&酒が残っていたのだろうけど。

でも、私たち4人は至福のひと時をおおいに楽しみ、大いに語った。

 

翌22日は日光東照宮へ久々に出向いた。

時折雨まじりだったけど、東照宮の歴史と独特の雰囲気を満喫した。

 

帰り便は往路と同じように東武スペーシアを使った。

ローカル色があって特急という事を忘れてしまうような速度であったけど、こんな電車旅もたまにはいい。

 

大吉は羽田発の最終便を手配。

私ら3名はギリギリまで羽田まで見送る・・なんて誰も言葉に出さなかったけど、きっと見送るつもりでいたんじゃないかな!?

 

しばしのお別れの時間が迫るまで、お茶しながら別れを惜しみつつ話し込んだ。

近く奥さんになる方には何でも話しているそうだ。

 

私がデュッセルドルフに赴任しているとき、大吉とどうしても会いたいという気持ちがあって、日本へ仕事で帰国した時、半ば強引に大吉を呼び出し名古屋で会ったことがある。

 

私と大吉は数年ぶりに会ったのだけど、昔話や世間話を2時間ばかりして別れた。

顔を見て、心での会話が存在することを知った。

 

そんな話が出て、大吉から改めて感謝の言葉が出てきたとき、ガラにもなく感極まってしまった。

特に意図があったのではなく、ただ君に会いたかったのですよ。

 

バイクを通じて知り合い、もう10年以上の月日が経った。

この間に何回会って、どのくらいの時間を話したのだろう。

きっと、辿っていけば思い起こせるくらいの僅かな時間だと思う。

 

この深いつながりと気持ちはどこからくるのだろう。

「心と心のつきあい」ってこういうことなんだろうね。

 

大吉、そう簡単にこれる距離ではないけど、時間があったらいつでもおいで!

バイクに最初に触れた日

僕が初めてバイクを手にしたのは大学生の頃。
貧乏だったので、バイク屋が捨てるはずだったバイクを自賠責保険込みで50000円にて譲ってもらった。
【KAWASAKI KDX】値段から想像しもらう通りオンボロ・・・
初心者にはエンジンをかけることすら困難な代物。
それでも初めて接した時の喜びは今でも忘れられない。
想像していたより重く不安定で全身の毛穴が開く位に緊張した・・・乗り終わった後は筋肉痛。

2回目からは、少しずつだけど運転技術も向上して周りの景色にも目を配る余裕も出て、季節や風の匂い温度の違い、他にもたくさんあるけど、その全てが以前とは違って感じられた。
大きな違いとは、違和感だと思う。
2輪は、天候にも左右されるし、事故れば一撃必殺!世に言う「危険な乗り物!」それを全身で駆る。
これはバイク乗りでなければ理解は到底できないことだろう。

バイクの上から見る360度視界の絶景は、最初にバイクに乗ったあの時から今も、常に僕に感動を与え続けてくれている。

マドンナの微笑み

大型バイクに乗るきっかけはここから始まった。
それは、とある休日。東名高速道路の海老名サービスエリアでのことだ。
小生達一行は伊豆に行った帰り、お決まりの休憩所である海老名サービスエリアでうだうだしていた。

相変わらずバイクがたくさん立ち寄っている。
その中で、ふっと1台のバイクが目に飛び込んできた。
ZZ-R1100のワインレッドだ。
そのZZ-R1100に女性ライダーがシートにちょこんと腰かけ、たばこをふかしている。
目と目が合ったとき、そのマドンナは微笑み軽く会釈した。
う~ん、かっこいい!何か映画かドラマのワンシーンでも見ているようだ。

これまでに男女を問わず、大型バイク乗りはいくらでも見てきているけれど、何故かこの時は違って見えた。
ひょっとして、個人的なタイプだったのか?自問自答してみたが、答えはノーだ。
この答えが出たとき、今まで何か抑えていた気持ちが、欲望が、フル加速し大型バイクのオーナーになる事を心に固く誓った。

早速、夢を実現する為、行きつけのバイク屋へ。
店主いわく、「あれ?大型免許持ってたっけ?」「まずは限定解除が先だね~」
小生は熱い想いを店主にぶつけ、「あとで、内金持ってくるからさ~、予約入れといておくれ~」
小生は勝ち誇った言葉を言い残し、店を後にする。

さあ、これからが大変だ。小生は限定解除に向けて、試験場の下見をし、コースを覚える。
え~と、スラロームのあとは、S字、そのあと右に折れてクランクだな、あと一本橋は慎重に行かないと落ちちゃう奴多いからな~。
通勤電車の中でもブツブツ言いながら、コースのシュミレーションを繰り返す。(周囲には危ない奴だとうつったかもね!?)

何度か挑戦し、桜も満開になる頃には、念願の大型免許を取得し、心も満開だ!
晴れて大型バイクのオーナーになったあの頃を今でも思い出す。
もちろん所有バイクはKAWASAKI ZZ-R1100だ。

バイク乗り職人達の魂

僕がバイクを乗るようになって既に7年が過ぎようとしている。
はっきり言って最初は交通手段として・・・
その楽しさを知らない人達には「何で乗るの?」「危ない!」とかいぶかしげに言われている。
別に楽しさの手ほどきなど教えてやるつもりもないけどネ・・・

ここに集った人々は全員「バイク乗りの職人」である。
必ず共通していることはバイクに乗ることと好奇心が強くて頑固でアットホーム
(気を悪くされたらゴメンゴ・・・)である。

他のメンバーはわからないけど、少なくとも僕は普段の平日、ちょっと腰の悪い、しがないサラリーマン。
週末が来るのを死ぬような思いでがまんして、ちくちく、ちくちく働いて小銭を稼いでいる。
毎度週末の訪れとともに身体の中で何かが壊れる。
鬱憤ばらしと勘違いされる方もいらっしゃるかもしれないが、今日は何をして遊ぼうか考える。
これこそがクラブを濃密な楽しさにしていると僕は常々思っている。

これから先も色々なことに直面していくことになるだろう。
このバイクを通じて知り得た「バイク乗り職人達」に感謝してやまない。

バイク乗りになったフシギなきっかけ

私は23歳まで道路に走っているオートバイを見たことがないに等しい。
というのも自分の中にそれが存在していなかったのである。
まあバイクといえば族・レーサー・仮面ライダー・以上、ってな感じで、世間のフツーの女の子のバイク意識というのはそんな程度なのだ!
こんな事を言うのは何だが、大型も小型もなく、ああ原チャとは違うのネ、くらいである(周りに乗っている人がいなければネ)

じゃあなぜ私はここにいるのか?これを語るとヒジョーに私的にはドラマチックな偶然の重なりなのだ。
ああ、ひしひしと私はラッキーだと、にやけてしまう。

<第一の偶然>
23歳の時、私は大阪でバラエティー番組のAD(番組制作の雑用係といったとこ?)をやっていた。
今はなくなったが某局でバイクツーリングの番組があり、ADが人手不足になっていた。
鬼ディレクターの上司が雑魚の私たちに「おまえらの中でヤル気のある奴は免許取ってこい!」と言った。
もちろん私はバイクのために自腹を切ってまで教習所に行く気は全くなく、行くなら男子だと思っていた。

しかし3ヶ月たっても誰も行く気配はなかった。マズイな~と感じた。
そんなこんなで、結局私が教習所で何度もコケてはガソリンをぶちまき、教官にあきれられ、補習補習でピーピーになりながら、やっとの思いで免許を手にしたのだった。一番気の弱いばっかりに。
しかし「おまえなんか危なくて任せられん」と一言。

この仕事、メーカーから借りたバイクをロケ地まで運ぶのが重要な仕事のひとつだったのだ。
結局免許は一度も使われることのないまま私は退社、上京することになる。

<第二の偶然>
免許をとってから2年間一度もバイクに乗ることなく、休日は代官山でお買い物とか、六本木のクラブとか(今となっては恥ずかしいが)まあそんな風に遊んでいた。
ある時、新宿のクラブの前の行列に並んでいた時「開店待っている列ですよね。」と声をかけてきた女の子がいた。
彼女もこの時が運命的な出会いで、今は無くてはならない存在なのだが、彼女がある時一冊の本を貸してくれた。

ご存知だろうか?素樹文生の『旅々オートバイ』という本。
会社を辞めて日本一周する日記&エッセイだ。それから上野にバイク街があることを知り、どんな所か見にいくうちに、バイクにはアメリカンとかオフロードとかいうカタチがあるのを知り、気が付くと北海道行きを描いていたのだ。(ここから先はツーリングレポートを読んで下さい。)

こんなよくわからん理由でバイク乗りになったのは、私くらいのもんだろう。
その後、クラブのメンバー募集に応募して、『風来坊』というかけがえのない仲間と(たぶん一生モノ)
出会うことができたという、ステキな偶然を最後に声を大にしてつけ加えておきます。

暴走バンビ 奈良

1998年夏、そのツーリングの最中にその事件は起こった。
友人と2人、大阪から奈良へ国道ばかりを使い夜毎キャンプ(野宿)しながらの旅でした。

その日も酷暑でしたが修学旅行以来、平城京には来てなかったので、一通りの名所巡りをし、キャンプ(野宿)基地を探しました。
幸い平城京は国立公園の中にありますので静かに騒げるところを探すのは、あまり苦労はしなかった。(ホントは泊まったりしたらダメらしい)

静かな池の畔で鹿の糞のにおいを嗅ぎながら、ささやかに飯と宴を繰り広げ、旅の疲れを癒していました。
遠くの方で暴走族の排気音が聞こえています。「どこの町にもいるんだね」などと話していると、極めて近くでその音がし始め、そちらへと目をやると・・・20~30台の小型、大型のバンビ君達が、こちらを見ながら疾駆していった。(あざ笑うかのように)
当然、テント、飯、宴は荒らされてしまった。
その後は、バンビ君を追い払い、寝る時間はほとんどなかったのは言うまでもない。

皆さん奈良でのキャンプは気をつけて下さい。奴らは喧嘩上等です。
ちなみに、安岐の宮島にもその後、行ってバンビ君達と戯れたけど、大人しかった。
本当の鹿みたいだった。