ロングツーリング2012 in Hokkaido

 

8/11 旅立ち(1日目)
旅立ちの心は熱く

 

▲ ANACargoはバリッと積載します

▲ ANACargoはバリッと積載します

8/11から8/16まで北海道ロングツーリングへ行ってきました。残念ながらチームではないく個人として…タカ&やまプラス行動点の合うところは同行する人々ってことに。

文章の主体としては、タカ&やま視点で書きたいと思います。

今夏の北海道の行程は若干短めの6日間。

ANAスカイツーリングにて。

 

我らの北海道の夏の始まり

やはり、時間を買っただけのことはあるスカツー。限定された短い時間配分には飛行機との組み合わせが一押しではあります。 バイク積み込みを貨物区画で行なって、体は旅客にて両方とも千歳へ向けて1時間ちょっとの行動時間が強み。

到着までの臨場感を大切にする人には不向きかも知れません。

と言うのも、あまりに到着が早すぎて突然現場に放り出される感覚は、何回行っても楽ではあっても

「ん?どこの野辺山高原に到着??」な感じですので。

東京は、午後から雨の予報。しかし、幸いにして北海道は前日が雨で当日は天気には恵まれ爽やかな野辺山のような晴れ。

荷物(バイク)の受け取りも滞りなく終了して、1430時から走行スタートです。

本日は、単に移動するだけと言うことで、鹿追を目指すことに…。

千歳空港関連線から道東自動車道「千歳東IC」から東へ…

 

テンション高めの縦断と合流者

▲ 10数年来の付き合いで二人旅は初めて

▲ 10数年来の付き合いで二人旅は初めて

この高速道路は帯広までが2012年になって開通となり、道東方面へのアクセスがかなり便利になりました。

高速道路からの眺望は…正直、北海道を窺い知るような景色は期待できないのだが…そこは今までの経験とこれからの期待でカバー、高速を降りれば一面北海道な訳で、喉が渇いた時にビールを我慢している状態に。

(写真のタカチん…速くてフォーカスが合わせにくかった(笑))

テンション高めで200km進み、帯広方面は「十勝清水IC」で降りる。R274を北上。比のある内にコテージへ滑り込みました。走行距離約230km

 

▲ ヘルメットの中の満面の笑みby大吉

▲ ヘルメットの中の満面の笑みby大吉

ここで…今回の旅の合流者一名が加わることに。

前乗りしていた大吉だ!

彼は北九州からの参上となり、バイクはレンタル。自身は飛行機。そしてツーリング根性は相当な猛者。いじくり倒しがいのある男の登場だ。

鹿追コテージは意外と名が知れているので迷いなく到着できたと本人は言っていた。

SNSでいつも話しているからだろうか…久しぶりに会ったはずなのに久しぶりの気がしない。これもまた風来メンバーの間柄と言うものなのだろうと感じたりしました。(写真のヘルメットの中の満面の笑顔^▽^)

▲ 一日目の晩御飯から、かなり贅沢でした

▲ 一日目の晩御飯から、かなり贅沢でした

鹿追は鹿なのに牛が有名…

夕食はカントリーパパにてガッツリ系で食べる。

3名それぞれ個別の物をオーダー。私はチーズビーフカツレツ。味は言うまでもなく、ボリュームも結構なもので鹿追牛をぜいたくにカツレツにして地場産の濃厚チーズをからめエスカロップにて食す。(写真参照…この場は禁酒)

大吉は鹿追牛たたき丼。

タカチんは鹿追牛のハンバーグ。

これだけ書いおきながら、味としての勝者はタカチんだった。

 

男だらけの天体観察…

北海道の夜は早い…すぐには真っ暗にはならないのだがお店は終了が早い。私たち三羽ガラスもその地元時間に否応なしにのっけられてしまう。

食後に買い出しを…って言っても近所にコンビニなど有るわけもなく。5kmほどバイクで。夜風が気持ちいい。ここは北海道で有ることを再確認した。

サッポロビールCLASSICを飲みながら、辺りが真っ暗になって、ふとニュースを思い出した。何とか座流星群がなかったか?と。

ヤサを外に変えて芝生で飲むことに変更しボーイズトークに華が咲いたのだった。(その時の写真は、大吉かタカチんから提供を願いたい。)

 

 

秋の西伊豆

この時はツーレポを書き忘れたのでギャラリーのみ!!

白川郷へGO!!!

2008年GWの時の写真。
PCを整理していたら白川郷へ行った時の写真が出てきました。14816045_1683696712s
ほとんど、覚えていないけどツーレポを書きます。

高山へは、中央高速松本ICから国道158号を西へ。
安房峠を抜けて向かった。

天気には恵まれていたので少し汗ばむような陽気だった。
町から少し離れた場所に宿泊したので、田植えの時期の田んぼの清々しい風を楽しんだ。

14816045_925325175s宿は古い日本旅館だった。
いつもの事ながらオーナーさんにバイクの保管場所を上手く選定してもらう。今回は宿の脇にある倉庫にバイクを置かせてもらいました。
実際のところ、ここの宿なら人通りも少ないって事も有って防犯上は問題なかったのが現実なのだけど…

高山の町で、「高山ラーメン」を堪能した。

ここから、白川郷へのルートが思い出せない…

 

白川郷・五箇山の合掌造り集落

白川村役場ウェブサイト → クリック

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世界遺産に認定された事もあって観光地化が進んでいる。
観光車両が立ち入れる時間を限定していてる。
当然、夜は人通りが少なくなる。

この時はちょうど「どぶろく祭り」が開催されていた。

今回のツーリングで世界遺産の中に宿泊できると言う事を私は初めて知った。
写真は民宿です。

合掌造りの縁側は日本風情が良い!!
用水路に流れるきれいな水。

夜になれば

まだ肌寒いのだが、田植え後の田んぼではカエルが鳴いていた。

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夕飯は、確か飛騨牛が出たな。
民宿の女将が三味線弾いてくれたもの新鮮だった。

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白川郷展望台から集合写真を一枚!!

 

バイクに最初に触れた日

僕が初めてバイクを手にしたのは大学生の頃。
貧乏だったので、バイク屋が捨てるはずだったバイクを自賠責保険込みで50000円にて譲ってもらった。
【KAWASAKI KDX】値段から想像しもらう通りオンボロ・・・
初心者にはエンジンをかけることすら困難な代物。
それでも初めて接した時の喜びは今でも忘れられない。
想像していたより重く不安定で全身の毛穴が開く位に緊張した・・・乗り終わった後は筋肉痛。

2回目からは、少しずつだけど運転技術も向上して周りの景色にも目を配る余裕も出て、季節や風の匂い温度の違い、他にもたくさんあるけど、その全てが以前とは違って感じられた。
大きな違いとは、違和感だと思う。
2輪は、天候にも左右されるし、事故れば一撃必殺!世に言う「危険な乗り物!」それを全身で駆る。
これはバイク乗りでなければ理解は到底できないことだろう。

バイクの上から見る360度視界の絶景は、最初にバイクに乗ったあの時から今も、常に僕に感動を与え続けてくれている。

バイク乗り職人達の魂

僕がバイクを乗るようになって既に7年が過ぎようとしている。
はっきり言って最初は交通手段として・・・
その楽しさを知らない人達には「何で乗るの?」「危ない!」とかいぶかしげに言われている。
別に楽しさの手ほどきなど教えてやるつもりもないけどネ・・・

ここに集った人々は全員「バイク乗りの職人」である。
必ず共通していることはバイクに乗ることと好奇心が強くて頑固でアットホーム
(気を悪くされたらゴメンゴ・・・)である。

他のメンバーはわからないけど、少なくとも僕は普段の平日、ちょっと腰の悪い、しがないサラリーマン。
週末が来るのを死ぬような思いでがまんして、ちくちく、ちくちく働いて小銭を稼いでいる。
毎度週末の訪れとともに身体の中で何かが壊れる。
鬱憤ばらしと勘違いされる方もいらっしゃるかもしれないが、今日は何をして遊ぼうか考える。
これこそがクラブを濃密な楽しさにしていると僕は常々思っている。

これから先も色々なことに直面していくことになるだろう。
このバイクを通じて知り得た「バイク乗り職人達」に感謝してやまない。

バイク乗りになったフシギなきっかけ

私は23歳まで道路に走っているオートバイを見たことがないに等しい。
というのも自分の中にそれが存在していなかったのである。
まあバイクといえば族・レーサー・仮面ライダー・以上、ってな感じで、世間のフツーの女の子のバイク意識というのはそんな程度なのだ!
こんな事を言うのは何だが、大型も小型もなく、ああ原チャとは違うのネ、くらいである(周りに乗っている人がいなければネ)

じゃあなぜ私はここにいるのか?これを語るとヒジョーに私的にはドラマチックな偶然の重なりなのだ。
ああ、ひしひしと私はラッキーだと、にやけてしまう。

<第一の偶然>
23歳の時、私は大阪でバラエティー番組のAD(番組制作の雑用係といったとこ?)をやっていた。
今はなくなったが某局でバイクツーリングの番組があり、ADが人手不足になっていた。
鬼ディレクターの上司が雑魚の私たちに「おまえらの中でヤル気のある奴は免許取ってこい!」と言った。
もちろん私はバイクのために自腹を切ってまで教習所に行く気は全くなく、行くなら男子だと思っていた。

しかし3ヶ月たっても誰も行く気配はなかった。マズイな~と感じた。
そんなこんなで、結局私が教習所で何度もコケてはガソリンをぶちまき、教官にあきれられ、補習補習でピーピーになりながら、やっとの思いで免許を手にしたのだった。一番気の弱いばっかりに。
しかし「おまえなんか危なくて任せられん」と一言。

この仕事、メーカーから借りたバイクをロケ地まで運ぶのが重要な仕事のひとつだったのだ。
結局免許は一度も使われることのないまま私は退社、上京することになる。

<第二の偶然>
免許をとってから2年間一度もバイクに乗ることなく、休日は代官山でお買い物とか、六本木のクラブとか(今となっては恥ずかしいが)まあそんな風に遊んでいた。
ある時、新宿のクラブの前の行列に並んでいた時「開店待っている列ですよね。」と声をかけてきた女の子がいた。
彼女もこの時が運命的な出会いで、今は無くてはならない存在なのだが、彼女がある時一冊の本を貸してくれた。

ご存知だろうか?素樹文生の『旅々オートバイ』という本。
会社を辞めて日本一周する日記&エッセイだ。それから上野にバイク街があることを知り、どんな所か見にいくうちに、バイクにはアメリカンとかオフロードとかいうカタチがあるのを知り、気が付くと北海道行きを描いていたのだ。(ここから先はツーリングレポートを読んで下さい。)

こんなよくわからん理由でバイク乗りになったのは、私くらいのもんだろう。
その後、クラブのメンバー募集に応募して、『風来坊』というかけがえのない仲間と(たぶん一生モノ)
出会うことができたという、ステキな偶然を最後に声を大にしてつけ加えておきます。

暴走バンビ 奈良

1998年夏、そのツーリングの最中にその事件は起こった。
友人と2人、大阪から奈良へ国道ばかりを使い夜毎キャンプ(野宿)しながらの旅でした。

その日も酷暑でしたが修学旅行以来、平城京には来てなかったので、一通りの名所巡りをし、キャンプ(野宿)基地を探しました。
幸い平城京は国立公園の中にありますので静かに騒げるところを探すのは、あまり苦労はしなかった。(ホントは泊まったりしたらダメらしい)

静かな池の畔で鹿の糞のにおいを嗅ぎながら、ささやかに飯と宴を繰り広げ、旅の疲れを癒していました。
遠くの方で暴走族の排気音が聞こえています。「どこの町にもいるんだね」などと話していると、極めて近くでその音がし始め、そちらへと目をやると・・・20~30台の小型、大型のバンビ君達が、こちらを見ながら疾駆していった。(あざ笑うかのように)
当然、テント、飯、宴は荒らされてしまった。
その後は、バンビ君を追い払い、寝る時間はほとんどなかったのは言うまでもない。

皆さん奈良でのキャンプは気をつけて下さい。奴らは喧嘩上等です。
ちなみに、安岐の宮島にもその後、行ってバンビ君達と戯れたけど、大人しかった。
本当の鹿みたいだった。

初めてのお使い ひとりで行っちゃった北海道

2000年8月のお盆明け、私は念願のひとり北海道ツーリングデビューを果たした。
その1年前、私は素樹文生の「旅々やオートバイ」という本にすっかり洗脳され、北海道にいくためのバイクを買った。
しかし運転歴2週間、自他共に認める運転のヘタッピさに泣く泣く断念した。
しかし、この年も実は本当に迷っていた。

風来坊の仲間から深夜のファミレスに呼ばれ、みんなから引き止められたからだ。
「来年になったらみんなで行こう」私のことを心配して止めてくれるのが分かるからかえって辛かった。
でも来年まで待てないと強く思っていた。
「言うことを聞かん子でゴメンナサイ!」7泊8日、大洗港よりフェリーで旅立った。

【DATA】
<宿泊>
予算は極めて無かったので基本的にライダーハウス(1000円以内でしかもキレイじゃなきゃヤダ!)
ユースが5000円近くかかってしまい、ガッカリ・・・

1.大洗港~苫小牧港(船中泊)
2.上川町(ち炉りん村)
3.屈斜路湖(ぽんと)
4.岩尾別(岩尾別YH)
5.羅臼(しれとこ自然村 ※超キレイ!イチオシです。2000円くらい)
6.帯広(グリーンホテル)
7.苫小牧~大洗(船中泊)

<立ち寄り温泉>
最後の日が雨でずぶぬれで、身体の芯から冷えきったときに入った虎杖浜温泉。
温泉ってありがたいな~としみじみ感じました。この時温泉にハマリました。

無料露天風呂
吹き上げの湯(十勝岳)・和琴温泉(屈斜路湖)・熊の湯(羅臼)
相泊温泉(知床)・岩尾別温泉・オサルの湯(洞爺湖)

有料露天風呂
黒岳の湯(層雲峡)・川湯公衆浴場(屈斜路湖)・雌阿寒温泉(オンネトー)
虎杖浜温泉

<主な立ち寄り名所>
どこも見たくてやみくもに走る走る!1回目にして欲張りすぎた私はズバリ貧乏性!もう一度ゆっくりみたいところばっかし。

富良野チーズ工房・銀河の滝・流星の滝・三国峠・阿寒湖・ナイタイ高原牧場
硫黄山・摩周湖・開陽台・野付半島・美幌峠・オンネトー・支笏湖など

そもそもこの私がどーしてバイクに乗って、どーしてひとりでこの北海道にいるのか、なんとも不思議な気分に何度となくなりながら、どこまでも続く平原の中を走っていた。

ショッピングとか、ケーキのおいしい店とかに関心のある普通の女の子だったのに・・・
ファッション雑誌からジパングツーリングを愛読書にしているなんて。
ただ2つ言えることがある。この快感は知ってしまった以上今のところ戻れそうにないということ、そして私は偶然の重なりからバイクを手にして、3年前には予想もつかなかったような、こんなたくましいことをやっちゃう自分をラッキーだと思えること。

帰りの船でついに大洗港が見えてきたとき、達成感や安心感の涙がでてきた。
北海道の思い出って景色とか人との出会いとかも確かにあったけど私にとってこの北海道はバイクを手にすることができたラッキーが究極のカタチになったもの。
そしていつまでも自分の人生のエピソードのベスト3に入っていることでしょう。

【もうひとつのHOKKAIDO】
「言うこと聞かん子でゴメンナサイ!」と反対を押し切って行ってしまった北海道。
どこかでメンバーには罪悪感を感じていた。
大洗港に到着した後、建物の中で休憩してからバイクに戻ると荷物いっぱいの私のバイクを囲んで笑っている人たち、そう風来坊のメンバーが迎えに来ていた。
もう十分幸せだったのにそれ以上幸せすぎて満腹。笑うしかできなかった。
ありがと!!