2000年ダイジェスト

2000年7月 ツーリングクラブ「風来坊」がこの世に出る。

男女合計9名がそれぞれのクラブ、或いはソロでの走りを経てここに集結した。みんな個性が溢れており、一筋縄ではいきそうにない連中だ。

クラブとしての記念すべき初ツーリングが7月に行われた。行き先は西伊豆の戸田、土肥方面。この日は新しい女性が参加するも、一部の下品な振る舞いからかこの日限りの参加で終わった。見に覚えのあるものは反省部屋に直行する。

その後、清里高原への星見ツアーや精進湖でのキャンプなど 、遊びの天才たちの企画により、力尽きるまで遊びぬいた。結果、職場や家庭での立場が危ぶまれる者が続出する。世間ではこれを熱病と呼んだ。

懲りない面々はこの後も変態の行動を続ける。少しでも時間があれば伊豆稲取のリゾートマンションへ車で出掛け宴が始まる。平日も連日の飲み会と留まるところを知らない。

 

 

 

この年のファイナルは12月に行われた伊豆修善寺での忘年会。生涯忘れることはないほどのハジケップリ。1年分のうさをここで晴らしているのだろうか。改めてメンバーのバイクに対する思い入れそしてパワーを感じとった。

 

 

風来坊設立元年である今年・・・終わりに近づいている。

 

 

バイクに最初に触れた日

僕が初めてバイクを手にしたのは大学生の頃。
貧乏だったので、バイク屋が捨てるはずだったバイクを自賠責保険込みで50000円にて譲ってもらった。
【KAWASAKI KDX】値段から想像しもらう通りオンボロ・・・
初心者にはエンジンをかけることすら困難な代物。
それでも初めて接した時の喜びは今でも忘れられない。
想像していたより重く不安定で全身の毛穴が開く位に緊張した・・・乗り終わった後は筋肉痛。

2回目からは、少しずつだけど運転技術も向上して周りの景色にも目を配る余裕も出て、季節や風の匂い温度の違い、他にもたくさんあるけど、その全てが以前とは違って感じられた。
大きな違いとは、違和感だと思う。
2輪は、天候にも左右されるし、事故れば一撃必殺!世に言う「危険な乗り物!」それを全身で駆る。
これはバイク乗りでなければ理解は到底できないことだろう。

バイクの上から見る360度視界の絶景は、最初にバイクに乗ったあの時から今も、常に僕に感動を与え続けてくれている。

バイク乗り職人達の魂

僕がバイクを乗るようになって既に7年が過ぎようとしている。
はっきり言って最初は交通手段として・・・
その楽しさを知らない人達には「何で乗るの?」「危ない!」とかいぶかしげに言われている。
別に楽しさの手ほどきなど教えてやるつもりもないけどネ・・・

ここに集った人々は全員「バイク乗りの職人」である。
必ず共通していることはバイクに乗ることと好奇心が強くて頑固でアットホーム
(気を悪くされたらゴメンゴ・・・)である。

他のメンバーはわからないけど、少なくとも僕は普段の平日、ちょっと腰の悪い、しがないサラリーマン。
週末が来るのを死ぬような思いでがまんして、ちくちく、ちくちく働いて小銭を稼いでいる。
毎度週末の訪れとともに身体の中で何かが壊れる。
鬱憤ばらしと勘違いされる方もいらっしゃるかもしれないが、今日は何をして遊ぼうか考える。
これこそがクラブを濃密な楽しさにしていると僕は常々思っている。

これから先も色々なことに直面していくことになるだろう。
このバイクを通じて知り得た「バイク乗り職人達」に感謝してやまない。

暴走バンビ 奈良

1998年夏、そのツーリングの最中にその事件は起こった。
友人と2人、大阪から奈良へ国道ばかりを使い夜毎キャンプ(野宿)しながらの旅でした。

その日も酷暑でしたが修学旅行以来、平城京には来てなかったので、一通りの名所巡りをし、キャンプ(野宿)基地を探しました。
幸い平城京は国立公園の中にありますので静かに騒げるところを探すのは、あまり苦労はしなかった。(ホントは泊まったりしたらダメらしい)

静かな池の畔で鹿の糞のにおいを嗅ぎながら、ささやかに飯と宴を繰り広げ、旅の疲れを癒していました。
遠くの方で暴走族の排気音が聞こえています。「どこの町にもいるんだね」などと話していると、極めて近くでその音がし始め、そちらへと目をやると・・・20~30台の小型、大型のバンビ君達が、こちらを見ながら疾駆していった。(あざ笑うかのように)
当然、テント、飯、宴は荒らされてしまった。
その後は、バンビ君を追い払い、寝る時間はほとんどなかったのは言うまでもない。

皆さん奈良でのキャンプは気をつけて下さい。奴らは喧嘩上等です。
ちなみに、安岐の宮島にもその後、行ってバンビ君達と戯れたけど、大人しかった。
本当の鹿みたいだった。